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8月にタイ訪問。一年ぶりにPhayaoのエミさんの果樹園を訪問しました。
農園の家族の懐かしい笑顔に迎えられました。エミさんのお父さん中島貞さんにも今回はお会いする事が出来、色々話を聞く事が出来ました。

そもそもこの農園の始まりは、中島さんは若い頃からタナゴに魅せられて釣り歩いたそうですが、氏の根拠地、霞ヶ浦の環境問題をきっかけに、日本のタナゴ保護会を立ち上げたそうです。その研究の一端として台湾へタナゴの餌の二枚貝の研究に訪れ、さらにタイのPhayao県にある、霞ヶ浦に良く似たパヤオ湖を知り訪れたそうです。
その地での出来事が彼の人生を変えたようです。世話になっていた村民の依頼で、日本に出稼ぎに行ってる娘さん探しの依頼を、その時その人がエイズ感染者であり、息子も感染者であることを知り、その依頼を引き受けたようです。1990年の事で、それより娘さんを探し当てるのに5年を有しました。その間、件の父親は亡くなり、息子さんが最後の病床に娘さんはなんとか間に合ったそうです。
どうも中島さんという人は、思いつくと利害のことなど考えず、すぐ実行に移す方のようで、その正直さ、誠意が村民の信頼を得ているようです。
その時を境にして、村民との心の交流が始まり、村の娘さんと結婚したそうです。この時村の貧困と向かい合い、貧困の故に麻薬や、人身売買等が蔓延し、その結果エイズの蔓延と繋がっている事に気がつき、適正賃金を払える労働の場所を造りたいと決心し、「NGOサンパサック自立支援センター」を立ち上げたそうです。
日本からの年々訪れる人が増え、協力の輪が拡がっております。この農園はその一環で、エイズ孤児を引き受けたり、貧しく教育を受けられない子供たちを受け入れる施設でもあります。
そんな父親とそれを支える母親の姿で、エミさんがしっかりものに育ったのでしょう。父親の現地名はルーン・サダというそうで、年は66歳。エミさんは孫の様な年です。可愛くてしょうがない様子にこちらも心和やかになります。そんなエミさんは6年生、昨年と比べるとちょっと大人になったようで、無口になりました。乙女心に蕾が見えます。反対に弟の貞雄くんは一年生になって、無口だった子が良くしゃべり、やんちゃで活発に私たちのネットを持ってチョウを追いかけております。子供たちの進化と、成長にうれしく、将来、5万坪に200種のフルーツを有する観光果樹園と言う、両親の夢の最もよき理解者となることでしょう。



タイで出会ったこの家族の緑を大切にしたいものです。
 (インターネットで「エミの果樹園」を検索すると面白い。)  


会長の独り言(その十四)
                          閑話休題