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10月の声を聞くと、嘘のように秋を感じます。秋になるとなんと多い事か、行事がひしめいております。
運動会、秋の遠足、文化祭、会社の慰安旅行、紅葉狩り、クラス会等々で、年代ごとにその行事に重きが異なりますが、小生のような還暦をとうに過ぎた人間にとって、仕事人間としての現役を離れ、これからの人生をどう生きていこうかと自分自身を振り返ったとき、クラス会はよい響きとなるのです。同じ釜の飯を食った、まだ利害のない学生時代の懐かしい友は、これから同じ憂いを、或いは人生の楽しみ方を共有できるよき同志となるであろう事に気がつくと、無性に旧き好き友に会いたくなるのではないかと思うのです。小生の大学時代のクラス会の案内を出したところ、数名の人たちから小学校時代のクラス会と重なったとの事で、クラス会を大切にしている様子が伺えます。


先哲の教えに「貴老」ということばかりがあります。「人生は生ける限り、常にぼけないで、なるべく有意義なことに興味を持ち、道理を尋ね、情熱を抱き続けることが肝心である。
不老長生とはいたずらに年をとることではない。いつまでも生きている限り、ぼけないで、人生に興味を持ち、情熱を抱き続けて勉強することである。老人に対して貴老と呼ぶ。好い語である。老人はいつまでも愚老になってはいけない。文字通り貴老でなければならぬのである。」。身につまされる言葉ですね。昼に何を食べたか思い出せなかったり、あれ・それが多くなったりするアルチュウハイマー的症状の今日この頃、まだまだ勉強が足りないことを反省させられます。自分以外皆師なりという言葉があるくらいで、好き友とおおく語らえたら最もよい勉強となるでしょう。さらにこれからの人生、老いを楽しみながら、好きな事に情熱を傾けるべく、自然界の研究をライフワークとしておるわけですが、まだまだ貴老も境地のは程遠い。
これからは貴老を目標にするか。


こんな事を考えさせられるのはやはり秋のせいか。秋は人を感傷的にするようですね。
本来秋は、暑中の惰気を一掃し、清健の気を振起こさせなければならぬ時期、感傷にひたっておられるかとまたまた自省。

読書の秋とも言う。聖賢の書を改めて読むよい時期と心得、酒を愛でながら秋の夜長を読書三昧などと洒落てみますか・・・


    勸酒     于鄴             井伏鱒二 詩訳


勸君金屈巵     君に勧む金屈巵(きんくつし)       コノサガズキヲ受ケテクレ

満酌不須辭     満酌辞するを須いざれ           ドウゾナミナミガシテオクレ

花發多風雨     花発けば風雨多し             ハナニアラシノタトエモアルゾ

人生足別離     人生別離足る                「サヨナラ」ダケガ人生ダ




会長の独り言(その十七)
                          閑話休題