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   柿

12月に入り、近くの神代植物公園の紅葉もモミジ、イチョウは正に盛り、黄金色の絨毯を敷き始めている、ケヤキやサクラ、ブナ科の落葉樹も葉を散らせ冬のたたずまい。
柿はというとすっかり葉を落とし枝ばかり、しかし鮮やかに実が一つ、二つと青空に美しい。
盛りの時はメジロやスズメ、モズのデザートの場所となっていたものである。
この残された実を「きまもり(木守り)」というそうな。木に感謝をし、来年もいっぱい実を付けてくださいとの願いをこめた旧くからの習慣だそうだ。山形のリンゴの木も同じであるが、どうやら本来柿が先輩のようである。
小生などつい最近まで何も無くなる冬に向けての、鳥たちへの優しい心遣いと思っていたものである。

正岡子規の「かきくえば かねがなくなり ほうりゅうじ」が思い起こされるが、小生など「かきくえば ベルがなるなり こうしゃかな」となってしまう。
高校時代、200本位の柿畑があり、授業の一環で世話をした。収穫時に生徒におすそ分けがあり、その美味しさが一層増すような喜びを感じたものである。その柿はたしかヒラタガキか次郎柿であったかと今では懐かしい青春の記憶である。
今、山形で仕事で車を走らせると、いたるところ農家の庭先に吊るし柿の簾を見る事ができ、初冬の風物詩となっている。この柿は庄内柿で、生食はヘタに焼酎を吹きかけて渋抜きしたものが出まわっているが、やはり干し柿のほうが甘みが増し、ずっと美味である。今では寒さ厳しい蔵王の名物である。庄内柿は干し柿になると、殆ど一口くらいの大きさである。幼き頃疎開先であった山梨から、正月前届いた枯露柿の半分くらいのおおきさである、こちらの柿は、甲州百目と言う種で、釣鐘型の大きなもので、あんぽ柿、枯露柿で有名。山形の上山にも甲州と似た特産種、紅柿があり名品紅ほし柿として高級土産となっている。
山形も山梨どちらも盆地性気候の共通性があり冬の厳しい寒さと、乾燥した気候のみが生み出す絶品であり、表面に白く粉がふいた様は、幾度かの霜に耐え、寒風に耐えた証であり、ひとたび口にほおばれば和菓子を凌駕する美味しさと共に、霜の香りさえするようである。
平安時代から変わらぬつくり方で、ドライフルーツの元祖に、昔の人のこの発見に、ただ感謝するばかりである。

飽食の時代、忘れかけた素朴な干し柿は多くの思い出と自然の豊かな恵みを思い起こす食べ物になってしまった。

かつては、多くの家の庭に柿の木が植えられ、柿は買って食べるものではないと思っていた二昔前であったが、こんにち結構なお値段でスーパーで売られている、この季節のリンゴより高価で高級品に格上げされた感がある。まして干し柿にいたっては手がでにくい。
むしろ東京では蕎麦が高級になったと同じように、この干し柿も高級になったと言う事は、いかに、自然の恵みに飢えていることの現われではないかとふと寂しい思いに駆られるのは小生だけか。


今年も山形の知人が作った干し柿を、東京の名物と交換する楽しみがやってきた。


会長の独り言(その二十)
                          閑話休題