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早いものでもう2月。去年の今頃は、近年の暖冬傾向に抵抗してか、嘘のような大雪が平成17年暮れより降り続き、2月には雪国各地で何十年ぶりの大雪により130名の方々の尊い生命が失われました。ところが今年は、暖冬が昨年の分を取り戻さんとしているような暖かさ。季節は厳冬期を飛ばし、一挙に2ヶ月位早い春の訪れを感じさせ、各地の梅の便りも2月に入って出揃っている状況です。雪国の代名詞の新潟にいたっては、1月には例年絶対出来っこないゴルフが出来、ゴルフ場を喜ばしているニュースがあり、反面スキー場は雪不足に泣いているというようななんとも笑えない状況です。
東北地方も同じように泣く人と笑う人と、悲喜こもごもです。
車が足代わりの土地では運転が楽だし、雪下ろしも必要なく、雪による事故が無いのでと安心しております。地方自治体も除雪予算の削減等と、経済効果は、雪降ろしをこの時期の臨時収入としている人たちや、雪を観光資源としている関係者の経済的損失とを比べると、雪のない生産性の安定の方がよいように見えます。しかし自然界においては冬が冬らしくないといと言う事は、植物や動物の生態系に狂いを生じかねません。例えば農作物ははや過ぎる芽吹きがどのように作柄に影響するのか、動物にとって体内時計に狂いが生じないのか等心配です。
この様な極端な暖冬が今後進んでいくようですと、もっと早い時期に北極の氷がなくなり、その分陸地も水没する面積も多くなり消えてなくなる島国もありえます。
今やこの原因は炭酸ガス排泄による地球温暖化が、科学的にも人災である事が定説になってきており、京都議定書に反対する大国も今や態度を改めんとしているようです。
しかし一方で石油エネルギー開発に余念がなく、省資源化努力は結局はエントロピーの増大に繋がります。この様な矛盾との戦いは、最終的には自己の利益の増大を目指す様にしか見えず、ドーキンスの言う利己的な遺伝子の姿そのものではないでしょうか。

早い話、江戸時代のような循環型社会に回帰するか、炭酸ガスを吸収する森林を育てる事が大切です。東南アジアではマングローブ樹林の保護と再生が企業と、現地住民とが協力しあって進められております。焼畑農業の禁止と、植林活動は定着してきているようです。特にアマゾンに見る自然開発による熱帯雨林の伐採はなんとしてでもやめることが大切です。

老子先生が「禁令が増えれば増えるほど人民は貧しくなり、技術が進めば進むほど、社会は乱れていく。人間の知恵が増せば増すほど不幸な事件が絶えず、法令が整えば整うほど、犯罪者が増えていく」と言っております。文明の進歩は確かに便利になり、生活も豊かになってはおりますが、欲のとどまるところを知らず、競争社会の行き詰めたところまできたようで、その結果富める者はより富、貧しきものとの差が一層拡大し、世界中に格差社会を生み出しております。その結果、人心は荒廃し、心の安らぎとかゆとりとか、本来人間に最も大切なものが見失われてきているようです。
紀元前450年位の人で、現代を見通している様です、と言うより人間のあるべき原理原則は時代が変わっても普遍なものなのでしょう。
老子先生は、自然に返れ、無欲に返れといっております。あまりにも進歩しすぎた現代において、どの程度の切実さをもって、受け入れられるのかは、わかりません。しかし問題の核心を鋭くついていることは認めざるを得ないのです。

温暖化防止のため、せめて出来ることから始めなくてはならないのです。たとえば車を極力使わない、流行や、すさまじく進歩するエレクトロニクス製品にすぐ飛びつかず、今ある商品を大切に使うことにしようと思います。お金がないことを幸いに・・・・・・・・



会長の独り言(その二十三)
                          閑話休題