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中国、唐の時代から20世紀の清末期まで続いた風習に、女性の足を大きくしない為の纏足というのが在った。小さい足が美人の条件とされた為、子供の時から親指を除く足指を裏側に曲げて布で巻き、縛り発育を抑えた様である。当然歩く事も多少自由を欠く事であったと想像出来るが、その自由さを犠牲にしてまでも、美人になる事により、良家へ嫁す事の機会も出来るし、後宮にも入れるやも知れないのであった。すべて一族の為であった。
先日、今年の寒さに背を円め、寒風に身を屈め下ばかりを見ながら池袋の東口駅前の舗道に来て何か違和感を感じた。ここは楠の立派な大木が数本、欅も数本あるちょっとした広場がある。雨の日の交差点での信号待ちには良い雨宿りの木となる位豊かな葉を茂らせている、夕方には数十羽になるかと思われる雀が枝にたむろして鳴き声も騒がしい位。人間様にも鳥にもやさしい、威風堂々とした木である。                 
そんな処に最近舗道の改修整備工事をしたのは良いが、驚くべき事に、従来これらの木々の周り直径1m〜1.5mは土であったのが、この度は、土の部分が全てアスファルトで固められ、木がアスファルトから生えている様な感じである。この事が違和感となったのである。これでは木は何処から水を得るのであろうか、本来根から殆んど水分や栄養を吸収する訳で、その水の通路が土壌であるはずであるのに、その土壌がアスファルトであったら正に水の路を断たれたようなものである。
これは纏足ではないか。大きく育った木であるが、さらなる大木への成長を止める為の措置なのか、或いは御用済みの木として枯れさせてしまう措置なのか。環境問題が叫ばれ、緑を大切にしようという考えから、どうしても逆さまではないかと思うのである。道路にとってアスファルトは管理上良いかも知れぬが、木にとってこれで良いのか、それともこの方が木にとって良いというのであれば分かるように説明してもらいたい。疑問に思うのは私ばかりではないと思う。天の道理から外れているのではないかと思わざるを得ない。纏足ではなく天則であるべきであってほしいものである。

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会長の独り言 (その三)
閑話休題