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 百済観音をアンコールワットで。


小学校時代、戦後の復興期にはまだテレビも無く、文化的娯楽が少なく、映画こそが唯一の楽しみであった。学校では時々、子供たちのために教室の一室を黒いカーテンでしきって映画会を催したものである。その中でジャングルブックであったか題名は記憶に無いが総天然色カラーの映画があった。忘れがたいシーンは少年が暗いうっそうとしたジャングルの中に古代の石の大きな遺跡を発見するところがあり、少年の驚きと興奮と伝わってくるようは臨場感のあるシーンであった。巨大な石の遺跡は弦が絡まって荒れ果てているが圧倒する存在感は画面を通して伝わってくるようで、観ている自分もその中にいる様な感慨を覚えている。そこには宝を守っている大きなコブラに会う。そのコブラが少年に話しかける。そしてルビーの飾りのついた大きなナイフをもらい、そこから物語が始まってゆく。妙に此処までの場面を未だに忘れず残っている。その為か長じてジャングルが好きになったきっかけであったのかなっと思うのである。


その頃であろうか、社会科の授業であったかどうか定かでないが、アンコールワットの写真を見たことがあの映画と重なって一度は行ってみたいと子供心に思い描いたものである。
その後タイへ行った時アンコールワットの上空飛行中との機内アナウンスにあの時の映画の思い出が蘇り、次はアンコールへ行くぞと思い巡らした、しかしヴェトナム戦争や、その後のクメールルージュの内戦でまた夢が遠のき、あのタイ行きのアンコールワット上空から40年経った今やっと夢の実現となり、少年の様な心躍る思いで忘れ難いものとなった。


アンコールの観光は朝5時から始まる。アンコールワットの日の出を見る為である。
朝焼けの中に浮かび上がるアンコールワットのシルエットは荘厳で、神秘的で当時の宇宙観や宗教観が窺い知れる思いである。日の出を楽しんだ後、ホテルに戻り朝食後、アンコールトムへ行く。アンコールトムは巨大な一遍3000m強の城壁に囲まれた都市国家であり、城壁の外側は濠に囲まれている。城都の中央に王宮やバイヨンと呼ばれる寺院がある。城門の南門からが観光コースでこの濠を渡る橋の東側は阿修羅像が、西側は神々が並び、それぞれナーガと呼ばれる水の神コブラの胴体を抱える格好で城門まで続く。これは「乳海攪拌」説話に基くものである。城門にはかつては木の扉があったようであるがいまは石の門で、ミニバスがやっと通れる幅である。城門を見上げると門の上には尖塔があり東西南北に面し観世音菩薩像の顔の彫刻が施されている。門の両側は像が鼻を伸ばし水練の鼻を吸い取る様を支える丸い柱のようにみえ、重厚さと柔軟さが計算された緻密さに驚かされる。あの子供時代観た映画の中の少年が古代遺跡を始めてみた時の、あの驚きと感動が実感として蘇るのである。
この門から中央のバイヨンへはミニバスでゆく。
バイヨンを目の当たりにするとその偉大さと重量感のある迫力満点の石の巨大な遺跡に、言葉を失い、感動に震えたものである。ジャングルの中に忽然と現れたこの巨大な化け物を最初に発見したフランスの探検家の驚愕と興奮はいかばかりかと想像できる。石の遺跡は崩壊の箇所も多いが、いくつもの尖塔の東西南北に彫られた巨大な観音像の顔の曲線とアルカイックスマイルは石組みの鋭角さと対照的に優しく、石の持つ人間を拒否する冷たさより、人間を受け入れる包容力にほっとさせられる。ここにも古代の人達の宇宙観と宗教的精神性が窺い知れる。
バイヨンを取り巻く壁には、一大歴史絵巻がレリーフとして描かれ、クメールとチャンパとの戦いや、人々の生活をも彫られており、その精密さと芸術性に当時の作者の並々ならぬ意気込みが感じられる。

柱には様々なアブサラと呼ばれる天女のレリーフが彫られ、どれ一つとっても同じ顔、同じ動きの物なくその精密さはミリの世界である。女神をあらわすデヴァータの浮き彫りもあるが風雨にさらされてだいぶ痛んでいるが無機質な石に生命を吹き込んだようで人間的で何処を見ても飽きない。中央の上部のテラスに登ると、巨大な観音像の顔を目の前に見ることが出来るばかりでなく、手に触れることが出来る。全部で百を超えるこの観音像の顔は同じ顔が無い。多くは伏し目がちである。たまに目を見開いていてきりっとしている顔もあるが、皆あの口の端をちょっとあがったアルカイックスマイルが何んともいえない優しさと、包容力を感じさせられ実に心和み、正に夢の中にいるようである。此処には日本の奈良東大寺の大仏を髣髴させられる。


テラスの壁にはデヴァータも多く彫られており、素肌が透けて見える羽衣を纏った姿、或いは上半身裸の姿の彫像があり、それぞれ髪の飾りも腰に巻いてある装飾の帯は緻密に彫られており極めて保存状態良くみずみずしさを感じる。なんという美意識なのか。その中で私の最も好きな、飛鳥天平の仏像で昨年法隆寺を訪れた際に会った百済観音をここでも会うことが出来た。あのほっそりとした姿と面長な顔と伏目と微笑みと同じ姿形のデヴァータに会ったときは感動しこれは私のデヴァータと思わず心の中で叫んだものである。ここにも仏教芸術の共通性を見た思いするのである。そしてちょっぴり幸せを感じたのであり、再会を約したのである。

アンコール。夢に見た地。いくら語っても語りつくせぬ、いくら書いても書き足らない魅力に満ちている。


タイの古代遺跡と大きく異なるのは、タイのアユタヤやスコタイにみる古代遺跡はアンコールの様な巨大な壁のレリーフや、尖塔の石面仏、デバーダの様な浮き彫りの像は殆ど観られないし、建築様式も芸術性において単調であるように思える。しかしタイの仏像はやはり日本の先輩格であり、面立ちは飛鳥天平の面影があり魅力的で個人的には好きである。
アンコールはヒンズー寺院が元であり仏教との混在が影響しているのかもしれない。
まだまだ世界には知らない事ばかりでこれからも世界遺産を旅して歴史の何故を考え、感動をいっぱい探す事にしよう。


会長の独り言(その三十四)
                           閑話休題