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   再びAngkor  その1.  Ta Prohm

2月に訪れたAngkorに魅せられて再びAngkorをおとずれた。

Angkor Thomの東門を出ると、南門と同じように両側に神々と阿修羅の並んだ「乳海攪拌」があるが、殆んどの像の首が無い。ポルポト時代の盗難にあったようで、南門ように修復もされておらず、ひっそりと寂しい。
ポルポトは尊い人命を200万人以上殺戮した上、石の神々の首まで取ってしまった行為に、あらためて憤りを感じるのである。
この橋を渡ると南側のメインストリートと異なり、道は狭く、両側は鬱蒼としたジャングルが続いている。左右の所々に小規模な遺跡が点在している。ゆっくり一つ一つ見るのも面白いかもしれない。今は時間がないのでTa Prohmへ。


Ta Prohmへは駐車場から300mくらい林のなかを行く。
この遺跡は、ジャヤヴァルマン7世が、母の菩提を弔う為、12世紀後半に仏教寺院として建立したものであり、この伽藍に12000人が暮らしていたと言う位の広さがある。 といっても東西1000m、南北600mであるのでAnkor Thomの15分の1の広さしかない。Ankor Thomの人口はいったいどの位であったのか。
遺跡の正面入口に立つと、その異様さと言うか、神秘さと言おうか今まで見た遺跡とは異なる雰囲気に圧倒される。 先ずは周りは鬱蒼とした高い木のジャングルで、ヒグラシが鳴いたとしたらぴったりの雰囲気がある。そのジャングルに飲み込まれたように石の建物。石組みの建物や、塀はラテライト特有の赤みが、苔の為緑色になっている。 建物は入り口も崩れている。これは人為的に崩したと言うより、おそらくジャングルのなかで、人知れず何百年も眠り続けた間に、大木の成長の為、木の勢いでつぶされたといった方がよいのではないか。 この苔むした建物はジャングルの湿気と太陽の届かないところで眠り続けた証がここにある。 正に自然の脅威。
入り口でこのように感じたのに、中へ足を踏み入れると、石材が散乱している。 巨大なタコの足のような大木(多分ガジュマロ)の根が、石の建物の上から押さえつけるように波打っている。 根っこの太さは細い物でも30cm以上はあり、太くタコの足の付け根の部分はまるで、木を溶かした肌色の生き物で、建物の養分を吸い尽くしているようにも見える。


或いはシメコロシの木であろうか、行く筋もの弦状の幹が祠塔の石壁を這っている。 これ等の沢山の大木が、獲物の様に回廊を押さえつけ、建物をゆがめ、破壊している様子を目の当たりにし、「恐怖と戦慄」と、まるで映画のタイトルよろしく頭を横切る。 なんという自然の力か、入り口で感じた数倍に、自然の脅威を感じるのである。


修復中の建物であるが、多くは倒れた石材が散乱しているまま。 しかし壁に彫られているデヴァターはなぜか破損はなく完全な姿を留めている。此処まで盗掘の手は入りにくかったのかもしれない。 壁一面に施されて文様の彫刻は、バイヨンに見られるものより彫が深い。バイヨンの場合壁には、歴史絵巻が掘られているが、此処は細かいレースの刺繍のような文様の彫刻が多く、偽の扉も精緻な彫刻装飾となって、芸術性豊かで青い苔とのコントラストに際立って美しい。
ここにはアブサラはまったく見られず、仏教色豊かな彫刻が所々に見られる。 デヴァターはAnkor WatやAnkor Thomと比べ、彫が深く足の向きも自然に立っている。(WatもThomも足は横になっている。)
まるで浮き彫りと言うより、一体の像のようである。


また、此処のデヴァターの顔つきは、細面で目は伏し目がちで、仏像の顔である。 頭の飾りも統一性があり変化は少ない。 倒石でそばによっても見られないものが多い。倒石の間から見えるデヴァターの顔が、雑然とした瓦礫のなか、一層穏やかさを際立たせているのがなんとも切ない。 全体が緑の苔に覆われて神秘的であるうえに、肌色の巨大な木の根の不気味さ、雨季にはむしろ緑色の輝きで全体がゴージャスになるであろう。


それにしても、Thomは国として、ジャングルの中に整備された事が分かるとともに、一歩城壁を出ると厳しいジャングルの地であったことを物語るのである。
この遺跡の姿は、ジャングルと人間の歴史そのものであり、自然の脅威を遺憾なく見せてくれる大切な姿でもある。 いつまでこの姿のまま残して置けるのだろうか。


今の感想は、小学校時代に見た「ジャングルブック」??そのものを思い出し「すごかった」一言につきる。



会長の独り言(その三十五)
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