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アンコール再び――その3−5

Banteay Kdei

Ta Keoの交差点を南に2,3分行くと、Ta Prohmの手前がBanteay Kdeiである。この寺院は12世紀にジャヤヴァルマン7世によって建てられた。歴史書に、この遺跡は僧侶の学問所であったとある。
遺跡は四方を土塀で囲まれており、最も大きい東塔門から入場する。この門の道を挟んだところに沐浴用の人造池スラ・スランがある。この塔門はAngkor Thomの塔門と比較すると小ぶりで、塔の4面に彫られている観音菩薩もひとまわり小さい。この門の左右の壁にはデヴァターと、ガルーダの彫像があり、Angkkor Thomも塔門にない特徴である。左右はラテライトの外周壁がつながっている。
門をくぐり、林の中の道を歩くと第三周壁の東塔門が見えてくる。その手前はナーガの手すりの有る広い石畳のテラスがある。この門を過ぎると広い庭になり、中央祠堂の尖塔が見えるが、その手前もナーガの手すりの有る石畳の参道がある。先ほどの東門からの、参道の2倍はある幅と長さがある。この石畳は多くの人の足跡で光り輝き、木々に囲まれた中に美しく、厳粛さを演出している様である。
その先に広いHall of Dancersがある。これもPreah Khonと同じ由来でアブサラ(Dancer9のHallというようである。建物の屋根が落ち石柱だけが並んでおり、この石柱にアブサラの浮き彫りが沢山彫られている。この数はPreah Khanよりはるかに多く、状態もよい物が多い。
このHallの先には第二周壁にあたる回廊があり、さらにその先は第一周壁にあたる回廊がある。その中心に中央祠堂がある。この中央祠堂には仏像が安置されている。当時柱面に彫刻されてた仏像は削り取られた後があり、仏像はみな、頭部がなく、ヒンズー教徒が破壊しようとそたものであり、今此処にあつのは新しい時代の物であろう。
この遺跡は、上智大学アンコール遺跡調査団が調査を行い、復興に協力しているが、300体近い仏像の首の部分を地中から発掘した。10年に渡る調査研究の成果は数カ国語に翻訳され貴重な資料となっているとのことである。
中央の通路から見える各周壁は彫刻が一面あり、窓の両側にはデヴァターが彫られている。状態も良い物が多い。さらに進むと第二周壁の西塔門、更に第三周壁の東塔門が見られる。どの塔門もレリーフが美しく、塔の上部にもデヴァターが彫られており、重厚さと精密さをそなえた石組の美しい塔である。
コースは中央の通路を西に向かって歩けば、様々な建物と浮彫が楽しめる。
石の通路を歩いていると、外の蒸し暑さを忘れ、石の冷ややかさがやさしく感じるのである。
この遺跡も崩壊の箇所が多いが、よく復元、整備が進んでいる感じを得たのである。これも上智大学の調査団のたゆまぬ努力の賜物であろう。
西側の庭から見えるこの寺院の全容は整然としており尖塔が美しい。
中規模のこの寺院は何か優しさがあるところで、多分整然とした感じと、瓦礫の整理のお陰であろうか。
このBanteay Kdeiをもって、今回のアンコール紀行は終了した。前回と合わせて2回の紀行に見る、遺跡群はどれをとってもそれぞれ特徴と、受ける印象も異なるが、当時の時代の流れとともに少しずつ変化する建築技術、レリーフやデヴァター等の芸術性はどれも充分すぎる感動を与えてくれた。2回訪れた遺跡のあったが、二度目も新しい発見があり、飽きる事がなく、また訪れるであろう。

改めて、時の為政者達の信仰心と、権勢欲が具現化され歴史となって残されていることに驚いたりするのである。これを作りたもうた芸術家、建築家、作業者の英知と努力、汗に乾杯。

2度に渡るカンボジア・アンコール遺跡は、Angkor Wat,Angkor Thom,Phnon Bakhen,Ta Prohm,
Banteay Srei,Kbal Spien,Per Rup,Srah Srang,Banteay Kdei,Ta Keo,Preah Khan
と周辺を巡ったが、まだ多くの魅力ある遺跡が残っている。次回は更に他の遺跡も巡りたいし、タイのミニ・アンコールのピーマイ遺跡にも足をはこびたいものと長生きの目標がまた一つみつかったのである。



会長の独り言(その四十六)
                          閑話休題