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       アジアの花の話

35年ぶりにマレーシアに行ってきました。クアラルンプールの上空より地上を見ると、緑豊かな大地が広がります。地上に近づくにつれ、この緑の大地がパームヤシのプランテーションが殆んどである事がわかります。
17時頃クアラルンプールの国際空港を降り立ち、タクシーにのって230km北のTapahを目指します。空港を出ると並木は見事な葉の大きな芭蕉ヤシの大木や、背の高いヤシの木がやたらに目立ち、この国を空から見た如くヤシは国の象徴の様です。
いつも訪れているタイの並木はマメ科の大木や、プリメイラの並木が先ず目につきますが、ここマレーシアはヤシが目立つのです。
高速道路を走っているとパームヤシのプランテーションの中を走っているようにヤシの木ばかりが目に付き、熱帯雨林の林は陰が薄いのです。この国がジャングルを切り開き、パームヤシの産業を育成したことが伺われます。35年前の記憶では、高速道路ははく、未舗装の埃っぽい道を走った記憶が甦ります。あの時の印象は、ゴムのプタンテーションが大半であったように思うのですが、今やゴムよりヤシのほうが旺盛なようです。時代とともに産業も変わったのでしょうか。
それにしたも、タイと比べると花が少ないのです。タイの場合は高速道路のグリーンベルトは、ブーゲンビリアの花が永遠と続き、両側の道路わきにはマメ科の木が、季節ごとに違った黄色やピンクの花で彩られているのに、ここマレーシアでは主体は、いろいろなヤシの木がその役目をしており、いやがうえにも南国の風情をかもしだしています。
街に入っても、花を見るのは稀であり、あってもブーゲンビリアや、ブッソウゲ(ハイビスカス)が少し植えられている程度です。Tapahの街は、山のふもとの町で、流石にここまで来るとヤシのプランテーションの姿は見えず、周りは熱帯雨林の山がせまっております。
TapahのCity Parkには、フタバガキ科の広い葉の大木が植えられて、木陰を作っています。花は背の高い、ピンクのブッソウゲが植えられており、他にはハマユウの花壇があります。いずれもその規模は公園の広さに比して寂しい限りです。
この街から高原のリゾート地のCameron Highlandの向かいますが、道路の両側は、果実園や畑が見られ、そのすぐ後ろは熱帯雨林帯が続きます。熱帯雨林(ジャングル)を切り開いて、ドリアンの栽培が盛んで、走っていると車の窓からあの懐かしい香りが絶えず入ってきます。
ドリアンの木は高い木が多く、切り開いたジャングルの中にひときわ目立ちます。
畑は、ビニールハウスが沢山あり、ヤシや、葉の大きな観葉植物の栽培ばかりです。ここでもタイの場合の花のビニールハウスとは違います。
タイは田舎の何処へ行っても人家の庭には沢山の花が植えられて、一年中花が絶えないのですが、此処マレーシアの人家には、花はありません。
マレーシアはイスラム経の国であり、偶像崇拝はありませんが、タイや日本のように仏教が中心の国は仏像を崇拝する習慣があり、仏には花をもって飾る慣わしがあります。特にタイのような小乗仏教が国教の国は、国民の殆んどは仏教徒であり、バンコックのような大都市では、いたるところに日本の社のような場所があり、仏像が花で埋め尽くされております。街の市場には必ず花のマーケットが一画を占めております。花のない生活は考えられないのです。
生活の中に仏を敬い、そこには花は欠かせないのです。そのような生活習慣がどんな田舎の小さな家の庭にもブーゲンビリア・ブッソウゲ・コスモス等の花を咲かせるのでしょう。
「仏教と花」それは正に文化です。
偶像崇拝のないイスラムは従い花に対する愛着も少ないのではないかと思わずにいられません。そのかわり、砂漠の多い地で生まれたイスラム経は、モスクの周りに、ヤシを沢山植えるようになり、緑に対する愛着が旺盛しなり、観葉植物を愛でるようになったのではないかと、想像を豊かにするのです。これもまた文化なのです。
このようにおそらく宗教によって、生活習慣が異なる結果、花と観葉植物の差となっていることなのでしょう。

それにしても、イスラムは酒を飲んではいけないのであり、花はなくともあの暑い南国で、マズハビールが命を甦らせるということを知らないのでしょうか。


花より、観葉植物よりビールの一杯が懐かしくなる旅でした。





会長の独り言(その五十一)
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