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 リコール

世界のトヨタ自動車がリコール問題でアメリカの議会に呼ばれ、豊田社長自ら反省と謝罪に涙ながらの答弁と相成った。
これまでトヨタがアメリカの雇用とGDPに永年にわたって貢献した事を考えると日本人としては辛いことである。GMが破綻したのがトヨタのせいにしたい分、多分にトヨタバッシングの感も無いでもないが、それはさておき問題は人命にかかわる事なので厳しく攻められてもいたしかたないことであろう。


事の重大性は対応によっては、『信用』を失い企業の生命にも影響しかねないことである。


反省の弁は急激な成長戦略により、品質管理に対する体制が追いついてゆけなかったことと、意思決定機関が日本の本社が行う事で、リコール決定に時間がかかり過ぎたようである。
筆者がこの問題の根本を考えてみると、重大な点が幾つか考えられる。
  1. 行過ぎたグローバリズムの弊害。
  2. 品質管理イコール人命尊重の精神。
  3. 驕りからくる過信。
  4. 肥大化した企業体質。
  5. 根本的に「企業は公器」との理念の希薄さ。
が考えられよう。

1(行過ぎたグローバリズムの弊害)に関しては、市場占有率拡張のため、あるいは新興国の経済発展による現地生産の拡大を目指したもので、ある意味では正しい戦略であった。しかし此処で問題なのは、生産国に於いての現地部品調達が本来重要であるはずである。即ち現地調達による、品質管理指導がきめ細かくなされているし、クレーム対応もスムーズに行われる。加えて現地調達はその国の産業の発展に貢献する事ができ、国同士の信頼関係が築かれるはずである。
然るにこの原則から乖離し、「市場原理種義」ね弊害か、安ければ何処の国から調達すると言う方針となり、結果今回のようにアメリカより購入した部品の不具合が世界全体にウイルスの如く蔓延し問題を一層大きくしたのである。この方式だと先ず価格(コスト)ありきであり、本来トヨタが部品メーカーとともにきめ細かい作業を通して、信頼ある部品を作り上げてきたからこそ、品質のトヨタが生まれたはずである事実を忘れたものと思われる。1社に全世界への供給を任せるということは、今まで以上の細かい指導と確認作業が必須条件であったはずであるのに、そうでなかったからこそ起きたのが事実であろう。本来の「現地完結型」に回帰するべきであろう。

2(品質管理イコール人命尊重の精神)に関しては1に関係するが、本質的に「品質とは何か」という原点の認識欠如、即ち「品質とは人命尊重」である事が徹底されてなかったから起きた問題である。
今回特に、何処の国でも事故死のトップはスピードの出しすぎであることを考えれば「スピードコントロール機能の重要性」に細心の注意が必要のはずで、コンピューター制御のソフト、バブだしの徹底さ、スピードを調整するアクセル周りの安全性、更にスピード制御の要のブレーキの性能確認が重要であることは素人の考えでも分かるというものだが、これらに対する反応は当初は問題ないとの認識ばかりで、過去に起きた事象は運転者の問題との認識が伺われ、謙虚さに欠けて、市場からの共通したシグナルであったにもかかわらず、真摯に受け止めていなかった。即ち「品質は人命尊重」に欠けていた。

3(驕りからくる過信)に関してはまさに1・2を通して原因は世界1のトヨタという看板の驕りで、世界一になりえた品質に対する謙虚さに現れず、過信となった事が全ての発端なのであろう。

4(肥大化した企業体質)は当然企業が肥大化すれば組織も肥大化せずを得ないのであろうが、肥大化すればするほどいわゆる官僚化となり、大きくなった組織の長は大きくなった権力の維持に汲々とし組織間のコミュニケーションも悪くなり、動脈硬化の官僚病症状に陥ったのではないか。
色々な情報を集約すると、今回の社長人事にかかわる醜聞もきかれるのもこのことの査証であろう。今回の大きな反省の中で、意思決定が本社に集中したことが、官僚体質上の対応の遅れとなり、責任のたらいまわしが市場からのシグナルを真摯に検討する事を怠ったのではないかと社長自身反省したことと推察できるのであろう。今後は『現地完結』を目指し、権限の委譲と、地域への貢献を目指すべきなのであろう。
多国籍企業のトップはトヨタリコール問題を「対岸の火事」と見るのではなく、『他山の石』にすべきであろう。

5(根本的に「企業は公器」との理念の希薄さ)に関しては、もっとも重要な企業の理念が欠如していることが国際的な事件として象徴化されていることに気をつけなければならない。
即ち世界の潮流のグローバリズムが多くの多国籍企業を生み出してきた。結果、世界的競争下に人件費の安い国へ生産をシフトし市場原理主義が台頭してきて、我国に於いて空洞化の現象を起こした。その結果季節雇用の問題、雇用の機会が失われ日本全体に景気に影響を及ぼす結果となっている。自社の生き残りの為それぞれが良い事と思った経済活動が日本全体に於いては雇用の機会を失わせ、所得の減少、消費減退となり、結果的に合成の誤謬となってしまった。
アメリカもかつてはそうであったが、違いは、アメリカには広大な農地と石油等の地下資源を有しており、此処の企業も資本力は大きい。更に教育水準は日本より遥かに豊かで、先進技術の基礎開発力の人材は豊富である。一方日本はこれ等全ての点で劣っており、食糧自給率さえ先進国中最低であり、僅かに生産技術力、精密技術力は世界的にトップレベルの分野があるのみである。しかし協力企業と共に培ってきた、その僅かな蓄積された技術資産ですらも海外に移転された。これでは日本の優位性のあるものは何が残ってゆくのであろうか。このことを各大手の多国籍企業のトップはどう考えているのだろうか。本来企業は『公器』であるがゆえ、日本のために何を残すか、次の技術を育成していくかを考えているのであろうか。もう一度原点に返って『公器』の立場に帰って、経団連のお偉いさん方は国を考えるべきである。炭酸ガス25%削減に反対するのではなく、このことが、将来における太陽エネルギー、電気自動車世界、天然ガスのエネルギー技術開発、原子力エネルギー技術改革等、「エネルギー革命」の道が開けるはずで、これを我国が世界に問う、また日本に残す技術となるべく一致団結した戦略を描くことこそが日本の将来があると認識すべきであると思うのであるが如何であろうか。

自分たちの不始末を部品メーカーの30%削減圧力を言う前に日本を代表する王者としての認識と、日本を再生するリーダーになってもらいたいのである。

足るを知る経営、信義ある経営こそ日本古来の美意識であるはずである。
経営哲学の再学習こそ現在のトップ企業のリーダーに課せられた課題であろう。

世の日本のリーダーの方々よ、せめて今一度渋沢栄一翁の「論語とソロバン」位は読み直したらいかかでしょうか。

会長の独り言(その五十二)
                          閑話休題