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先日知人の法事に訪れた寺の本堂に「立正」の扁額がありました。この寺は日蓮宗で日蓮の「立正安国論」の立正であることに気がつきます。云うまでも無く日蓮が時の執権北条時頼に送って、政治の悪道を説き、当時頻発した天変地異は、時の政治と結んで権力を持っていた浄土宗等の邪法の弘通(うぐす)によるとして批判し、法華こそが正法であると唱え、これを広めるべきとした事は歴史で学んだことであります。

国を安んずるという事から、ふと思ったのは歴史問題で中国や韓国でかまびすしい靖国神社は同じ国を安んじるであり、出展は中国の『左伝』です。従い靖国神社は国を安んじる神社という事であり、ひろく軍人を祀って、その魂を治め、静め、よって平和を祈願するという意味より、幾たびの戦争という愚行の犠牲が今日の国を安んじる事が出来たと、戒めと再びの愚行を繰り返さないとの、天に誓った証としての社と解釈しております。
その様に考えると、けして戦犯をも祀ったものでないのです。――皮肉をこめて云うなら、戦争で亡くなった軍人は戦争に加担したと言うことに於いて、一兵卒から将軍、果ては教育者までおなじ戦犯となるはずではないかと、こじつける事も出来るのです。――勝てば官軍と言う言葉通り、負ければ全て戦犯とするのは戦勝国の特権なのです。本来戦勝国は負けた国に対して喪に服さなくてはならないと、孔氏先生だって云っておるではないですか。そんなことは中国も韓国も儒教の御国ゆえ当然ご存知の筈だと思うのです。
しかるに両国の言い分は「靖国神社は戦犯を合祀している、故に靖国神社はけしからん、まして一国の首相が参拝などするのは言語道断。」と言っているのに等しい。ここには2つの問題が隠されている。1つは宗教の自由、2つは日本文化に対する内政干渉であります。
宗教の自由が憲法で保証されている以上、誰が参拝しても問題は無いし、ましてわが国の首相が過去にも、特定の国の宗教行事はおかしいから止めたほうが良い等と言った事はありません。――但し、問題は一方で政経分離となっている以上公人としての参拝は、国内問題とはいえ誤解を生ずる恐れが無いとは云えません。――
もう1つの問題は、靖国神社は日本文化の1つの象徴であり、これを否定する事じたい、文化を否定し、慣習を圧力によってやめさせようとする事を意味し内政干渉に等しいものです。
世界の平和を脅かす恐れのある某国々の核開発に対する内政干渉とは大いに問題点が異なり、見識在る大中華人の論ではないと思うのです。勿論ことさら之を採り上げていることは、誰の目からも政治的駆け引きである事が明らかであるにもかかわらず言い続け、それが功を成してか、最近のアメリカの有名ニュースペーパーや高官までもが、中国と同様な事を言い始めにつれ、更に中国側の大国意識の常なる傲慢さがエスカレートしてきたように感じるのです。中国としては「してやったり。」というところ。これは正に古来より使い古された外交戦略の術中にはまった感じであります。
日本側の対応はいわば大人の対応であると思います、これを日本側が譲歩してもきっと次の南京大虐殺問題等が政治の駆け引きに使われる事でしょう。政治とはめんどうなものです。はっきり云ってこの件は、日本の問題というより、中国や韓国の物の見方、政治のあり方の問題なのとおもうのですが?????

何をもって国を安んじるかは永遠のテーマであると思われますが、悠久の歴史の中国には、先哲の教えに満ちております。温故知新はあらためて思い起こすべきと考える次第です。

    会長の独り言(その七) 
                              閑話休題