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                 春宵一刻値千金

今年の冬は、何十年ぶりの寒さであっただけに、春が来た実感もひとしお。事実例年ではマンサク、ロウバイ、梅、レンギョ、コブシ、サンシュ、桃、桜の順番で花が咲くのですが、早く咲き始める花は遅い開花となり、桜も例年より遅くなるのではないかとの予想は、逆に昨年より7日も早いとの事、そのせいか一斉に花が咲いた様な感じで、正に春爛漫の言葉がぴったりの東京です。いよいよ冬眠からめざめ、冬に蓄えた脂肪を落とすに、散歩の楽しい時期です。
やがて
4月には桜が主役で、満開の桜並木を歩けば誰でも日本に生まれた事をよかったと思うのではないでしょうか。この桜が散る時はそれはそれで花吹雪というやつで、美しくドラマチックなのです。浅野匠守の桜と共に散った舞台とだぶらせ、桜の散り際の潔さが日本人好みとなっておるようです。

私といえば、1970年中国の文化大革命の最中に、仕事で訪れた広州での、公園(名前は失念しました)での蝶吹雪を思い出します。池の周りの林の中を飛ぶマダラチョウの仲間を、目で追いかけ、梢を見上げれば、黒っぽい木の葉が沢山ぶらさっがっております、これが枯葉でなく、蝶であることを発見するに然程の時間はかかりませんでした。それは何百ものマダラチョウで羽を開いているものもの、周りを舞っているものとそれぞれ紫やチョコレート色の蝶です。持っているネットでは届かず、仕方が無いので小石を放り投げてみました。何百もの蝶が吹雪となって舞い降りてきたのです。夢中になってネットをふると20頭くらい入ります。これを処理して再び挑戦しようとしたところ、異変に気が付きました。私の周りに何時の間にか何十人の人々が取り囲んで、物珍しそうに私を見物しております。毛沢東思想を学習している我々に比べこの日本人は何と反動的なのかなどと思っていたのでしょうか。蝶吹雪の感動も何処かに吹き飛ばされあまりの人の多さに後はただ風と共にここを去りました。今も人の多さは世界一ですが、あの蝶達も同じように今でもあの風景を見せてくれるのでしょうか。開発が進み文明が発達する事と反比例して虫達が少なくなっているのが現実です。
あの時の蝶達は戦後初めて日本人として中国でネットを振った――多分――記念として、思い出と共に大事に保管されております。
あの時の感動が忘れずいまだに自然がいっぱいのジャングルを訪れるのです。

長生きの秘訣と言い聞かせながら・・・・・・。


    会長の独り言(その八) 
                              閑話休題